本州縦断フットレースを終えて3週間。
大会直後は『こんな大会、二度と出ない!!』と思い、
大会を振り返るなんてもってのほか。
走ることも一切考えたくない、そんな状態。
毎晩見る夢は決まって
「走っても走っても着かない。」
「コンビニがない。」
「泊まるところがない。」
そんな夢。
2週間ぐらい経って、だんだんと大会のことが頭に浮かんでくるようになりました。
一番はやっぱり、
『悔しい。』という気持ちです。
自分の走りができなかったこと。
自分の思い描いていたことができなかったことが悔しかったです。
ここ数日でようやく大会を振り返る気持ちになり、
自分の走ったコースを見返したりしました。
どう進んでいればもっと上手くいけたんだろうかとか、
そんなことを考えていました。
さて体の方ですが、少しずつですがだいぶ良くなってきました。
そこで大会についてはまた次回以降振り返ることにして、
忘れてしまわないうちに体のダメージについてを先にまとめてお伝えします。
怪我の画像等は出てきませんが、怪我や疲労等についての描写が苦手な方は
途中読み飛ばして、「その他」「まとめ」をご覧ください。
本州縦断フットレースでのダメージ
「右足付け根、左足スネの痛み」
大会2日目、4月25日。
走行中に右足付け根が痛くなり、走れなくなる。
歩いていても、下り坂で足を付いたときに痛みが発生。
また同じく歩いているときに、左足で蹴り出したときに左足スネに痛みが発生。
どちらも初めて痛める箇所のため不安に。
→ 加減しながら歩いて進むことで対応。
⇒ 一晩寝ることでどちらも翌日には解消。
「左足スネの肉離れ」
大会10日目、5月3日。
新潟県糸魚川市(600km地点)を走行中に左足スネに痛みを感じる。
大会2日目に痛めた箇所と同じ所。
→ 歩いて様子を見るものの、痛みは治まらず。
→ シューズを替えても効果なし。痛みが強くなったため、
さらに歩くペースを落とす(1km15分)。
→ 足首と足の境目、スネの筋も痛み出し、ひざ下が動かせない状態。
進むのを止め電車で宿まで移動。
→ 翌5月4日に整形外科へ。「左足スネの肉離れ」とのこと。
5月4日、5日と2日間、先へは進まずにホテルで療養。
→ 5月8日。石川県小松市あたりで今の状態での歩くコツを掴み、
1km12分ほどで歩けるように。以降、大会終了までそのペースで進む。
⇒ 6月13日現在。まだ腫れており、走ると痛い状態。
完治までにはまだ時間がかかりそう。
「左手、左腕が一部動かない」
今まで黙っていましたが、実は左手、左腕が一部うまく動かせなくなりました。
今はほぼ治りましたが、大会中は肉離れよりもこっちの方が心配でした。
病院には行かなかったので原因は不明ですが、肉離れが影響していたのではないかと思っています。
大会15日目、5月8日。
石川県小松市を歩行中、左手、左腕がうまく動かないことに気付く。
2,3日前から動かしづらい気はしていたが、毎日同じ体勢で進んでいるため、
肩凝りのような体が固まった状態なのかとあまり深刻には考えず。
→ 歩きながら左手、左腕を動かしストレッチ。4時間の間、定期的に実施。
左肩、左腕を今まで経験したことがないぐらい血がめぐっているのを感じる。
その後なぜか急に左脚がうまく回転し、速く歩けるように。
→ 5月9日。箸が昨日より若干うまく使えない。(私は左利きです)
このまま動かなくなったらと心配に。リタイアすることも考える。
今日一日様子を見て決めることに。進みながらストレッチを繰り返す。
肘を曲げ腕を後ろに引く動作ができないことがわかる。
手は頭、顔付近では動くが、胸から下では動かしづらい。
→ 5月10日。昨日よりは悪くなっておらず、繰り返し動かすことで
動くようになった動作も出てくる。
このままストレッチを繰り返しながら大会を続けることとする。
→ 5月19日。大体の動作はできるようになるものの、
歩く時、走る時の腕を後ろに引く動作はできないまま。
→ 5月28日。日常生活、仕事等を通して体を動かすことでだいぶ良い状態に。
⇒ 6月13日現在。ほぼ治る。
「右目の視力低下」
大会14日目、5月7日。
夕方暗くなってきたときに、道路標識が見づらいことに気付く。
翌日になっても見づらいまま。特に右目で、暗くなるとより見づらい。
この状態が大会最終日まで続く。
⇒ 大会終了後、気付くと治っていた。疲労が原因か。
「足のトラブル」
小指のマメ
大会2日目、7日目に発生。雨が原因。
⇒シューズの小指部分をハサミでカットすることで対応。
かかと内側のマメ
大会後半に発生し、大会21日目にはだいぶ大きくなる。
⇒2,3日後に気付いたら潰れていて、結果助かる。
かかと後ろ外側のひび割れ
大会序盤に発生し、日々傷が深くなっていく。
最初は右足だけだったが、後に左足も。
大会終盤にはかなり傷が深くなり、痛みも大きく。
⇒とにかく我慢。なんとか持ちこたえる。
爪が剥がれる
これは左右両足の小指のみ。
大会終了後1週間ぐらいしてから気付く。
多分マメができたときに剥がれたか。
⇒特に問題なし。
「その他」
大会前に一番心配していた「腰」は大丈夫でした。
一年間気を付けて、加減しながら練習してきた成果だと思います。
腰の痛みだけは我慢できないし、また我慢してはいけないものだと思うので、
これだけは本当によかったです。
あとは「膝」も大丈夫でした。
特に左足の肉離れ発症後、右足にかなりの負担がかかることになり、
右ひざが最後まで持たないと思ったのですが、終盤に左足が回復してきたこともあり、
両ひざとも痛くなることなく大会を終えることができました。
それ以外も特に問題はありませんでした。
体調を崩すことも気分が悪くなることもありませんでした。
この点については、大会全般的に天候が悪く日差しが少なかったこと、
気温が低い日が多かったことがいい方に作用したものと思われます。
防寒も、持って行った装備でギリギリ大丈夫でした。
逆に快晴の日、暑い日が多かったとしたら、熱中症の危険性が増していたことでしょう。
最後に「全般的な疲労」ですが、これは今回想像以上に疲れました。
特に序盤。肉離れ発症前です。
「疲れた」というよりも「眠い」です。
日中、とにかく眠くて眠くてしようがなかったです。
そして異常にお腹が空きました。
基本小食で、普段から特に走っている最中はほぼ補給はしないのですが、
今回は途中何度もコンビニでパン、おにぎり等を購入し食べていました。
この疲労からくる「眠気」と「補給」によりペースが驚くほど上がらず、
前半は苦労しました。
「まとめ:大会で一番注意すべきは『車』!!」
以上、私が今回の本州縦断フットレースで負ったダメージについてをお伝えしました。
この「ダメージ」については言うまでもなく個人差がありますが、
もし今後この大会への出場を考えている方がいらっしゃいましたら、充分に覚悟して臨んでください。
相当な体力、脚力がない限りは、地獄を見ることになります。
「がんばればなんとかなる」という綺麗事は一切通用しません。
途中、体調不良や負傷により動けなくなっても、助けてくれる人はいません。
市街地以外は基本、人は歩いていません。(特に山間部。)
タクシーを呼ぶか、民家に助けを求めることになります。
そうならないよう、大会中は徹底した自己管理が必要です。
どうしても出場したいという方には、
通常版の制限時間である30日間をいっぱいに使っての、
ゆとりあるスケジュールでの参加を勧めます。
そしてまずはR7、R8、R9の各ステージから挑戦するのが無難です。
中でもR9ステージ(舞鶴~下関)が群を抜いてキツイです。
このR9ステージをクリアできて、かつ「楽しい」と思えれば 、
その人は本州縦断フットレースに向いていると言えるのではないかと思います。
最後に、本州縦断フットレースというと
「1550km」という長い距離に注意がいってしまいますが、
問題はそこではありません。
一番の問題は「車」。
青森から下関までの間、
歩道の無い区間が多くあり、しかも国道ということで
大型トラックが自分のすぐ真横をひっきりなしに通っていきます。
充分に気を付けないと命にかかわります。
大変危険なので歩道の無い区間では絶対に気を抜かないでください。
以上です。